不妊の原因前のページで話したように最初のお医者さんで通気検査をしたけど、結果的には何が何だかよくわからずじまいだった。卵管に空気を通して詰まっていなければその空気が肩の方に流れ出て肩に痛みが出てくるって言われた。 でもこういう事ってこの感じがそうなのかなぁ~とかはっきり言ってよくわからないんだよね。 って云う事でT産婦人科での様子を話します。 心配していた子宮ガン検査は大丈夫でした。 でも先生からお子さんは?って聞かれ私も「そろそろ・・・」って言い出して今までの経緯も聞いてもらった。 ふた月基礎体温を測りながら診察をし排卵誘発剤も使ってタイミングを見てみましょうって事になった。 でも結果は×。 8月、9月とそれをやってきて先生に聞かれた。 「今まで手術した事ありますか?」って。 そう、これなんです。 思い返せば私が小学校5年生の10月。 月曜の休み明けからお腹の調子が悪く学校を休んでいた。 食あたり?って感じで親は思っていたみたい。 でも一向によくならずに木曜日お医者さんで一応検査したら何と盲腸反応が陽性だったようで翌日切る事なった。 木曜のその日は毎週楽しみにしていたドラマがあって見るつもりだったけどお腹の様子がどんどんおかしくなってドラマどころではなくなってしまった。 痛みと共に眠ってしまったようで、一眠りして目が覚めたのが何時頃だったんだろう。 夜に11時近かったのかな? 目が覚めたら激痛でどうにもならなくなっていた。 すぐお医者さんに行ったら腹膜炎を起こしていて手遅れ状態に近かったらしい。 緊急手術をしてどうにか命は助かった。 手術の間、父は車で30分位かかる神社にお参りに行ってくれたようだ。 今思うと涙が出てくるほどありがたい。 取った盲腸を見せてもらったけど、こんな長いものなのかって思う位長かった。 脊髄にした局部麻酔の注射の痛さは今でも覚えている。 で術後の痛み止めの肩にする注射も痛くて痛くて・・・。 「痛いの我慢するから痛み止めの注射はしない」って泣いて訴えたそうだ。 腹膜炎云う事で傷口は全部縫わずお腹の中に10センチくらいの管が入ったまま状態。 そこから膿を出して毎日交換していた。 10日間位この状態で後は縫合して全部で3週間入院した。 その後自宅療養1週間。 ひと月以上学校を休んだって事。 こんなすごい病気になって命は助けてもらいお医者さんに感謝したものの、何年後かにこの事が原因で子供を抱けない自分になっていたなんて誰もこの時は思ってもみなかった。 ジャンル別一覧
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